7月第一土曜日に。
28年度は天候に恵まれ次世代を担う
子供たちも楽しそうに
おみこし担ぎをしました。

江戸時代後期に岡田寒泉という著名な儒学者がいた。寛政の三博士と呼ばれた学者の一人で、儒教の新しい学問体系である朱子学の振興に努めたが、後に常陸国の幕府領五万石の代官に任ぜられ、現つくばみらい市を中心に7郡182村を治めた。

 彼は勤倹貯蓄を奨励し、飢饉に備えて米を備蓄させ、育児を奨励して養育費を支給するなど、善政の限りを尽くしたという。著書の「幼学指要」は、幼児教育の先進的な指導書だったのではないかと推測される。 

昭和31年、小貝川両岸の村(平沼と下小目)を結ぶために作られた木造沈下橋。橋幅は狭く1.5mほどで、欄干はない。木橋のため車では通れないが、趣のあるその風景は、映画やドラマの撮影に度々使用されるほど。このあたりはシーズンになるとたくさんの釣り客が訪れる釣りスポットでもある。


7月1日、、あいにくの小雨模様の中、下小目地区の益々の発展と無病息災・五穀豊穣を祈願

氏子の皆さん、地区役員、PTAの三者協力により八坂神社祭礼、子供夏祭りが無事終えることが出来ました。

七夕様に大半がお母さんの願い???
「ゴルフがうまくなりますように・・・」
「痩せますように・・・・・」
なんだこりゃ・・・・・きっと願いが叶いますよ。

ワッショ イワッショイ ワッショイ

今年は大勢で校歌を合唱しました

雨も上がった夕刻より恒例となった新宿神楽の妙技に喝采


 村人は、このような数々の善政に感動し、彼の生祠(せいし)を造った。生祠とは、生存中の人の徳を慕い、生神様として祭った祠(ほこら)のこと。その祠が、小貝川の畔、つくばみらい市下小目にある。約200年前の文化7年にこの地の人々が建てたもので、石碑の中心には岡田大明神とある。その横には附々神と刻まれているので、お付きの役人たちも併せて神として崇めたようである。 
 祠の場所は少し分かり難いが、まずは八坂神社を目指し、その鳥居の前で小貝川堤防に目をやれば、おのずとその祠が目に飛び込んでくる。

小さな旅 茨城版 
近隣ぶらり探訪記より

皆で記念撮影 ”はい  パチリ”

上手く当たるかな・・・・行くわよ・・・



神社の夏祭り

八坂神社の大ケヤキと

下小目の大師堂(下小目には3箇所の大師堂が有ります)

茨城県つくばみらい市下小目
(旧谷和原村と伊奈町が平成18年3月に合併し”つくばみらい市”となる)。


👉

PTAさんの巧みな進行により雨間を見ての子供みこし等を始め、全ての催し物を行う事が出来ました。

29年度八坂神社祭礼&子供夏祭


48番 下小目大師堂

38番 押切大師堂

10番 小平沼大師堂